タンカ52 人体解剖の度量 |
タンカ52「人体解剖の度量」も、『四部医典』の第三部「秘訣(ひけつ)タントラ」の第85章を、絵にしたものです。 一連のタンカ制作の中心になったのは、17世紀、ダライ・ラマ5世のときの司教テンジン・ノルブです。それまでのタンカでは、宗教的な理由からか、心臓は体の中央部に描かれていました。 司教ノルブは、自分で解剖に立ちあい、その目でみた解剖の結果を、タンカに反映させました。この科学性が、今日の専門家を驚かせているのです。 ちなみに日本では、杉田玄白らが「腑わけ」をし、『解体新書』を翻訳したのは、18世紀も後半の1774年のことです。 |
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